今年の3月に早期退職して、半年が経ちました。
このひと月ごとの区切りの記事は退職の8か月前から続けているので、退職前8か月分と、退職後6か月でトータル14か月分の15記事になります。
早期退職と言う、自分の人生の一大イベントで感じたことを残しておこうと思って書き始めました。この区切りの記事で書いてる内容は、主に自分の感情です。退職や無職になってからの手続きとか、具体的なお役立ち情報は書いていません。自分の感情と言うのは、その時々でしかリアリティをもって表現できないので、その時どう感じたのかを焦点に絞って書きました。
今回、全部読み返してみました。1年超定点観測を続けると、感情の移り変わりと言うのが良く分かりますね。最初の方の記事は、今にも死にそうです。写真も暗い。苦しんでる様が良く分かります。自分のことながら残酷ですが、書き手が苦しんでる方がブログは面白いですね。
1年分を通して読んで感じるのは、サラリーマンの不条理さとか理不尽さと言うのを、私は強く感じているんだなと言うことです。これが人生のテーマみたいになってますね。理不尽さに対峙するのが人生のテーマだなんて、人生が不毛過ぎます。だから会社を辞めたんですけどね。
半年経って実感したことは、サラリーマンより今の方が本当の姿だなと言うことです。無職が本当の姿と言うより、私にはサラリーマンは向いてないなと言う意味で。サラリーマンの上意下達の雰囲気がどうしてもなじめなかったですね。サラリーマンに向いてる人と言うのは、冬になったら雪が降るように、上司や会社の指示もそういうものとして受け取れる人なんだと思います。私にはその雪は舞台装置の上から誰かが降らしてるものとしか感じられませんでした。タイミングが悪いなとか、量が不適切だなとか、雪じゃなくてただの紙だなとか感じてました。自然の中で降る雪のように、そういうものとして素直に従う気になれなかったですね。そんなうがった気持ちで上を見上げてる人間は、会社に居てはいけないです。
そういうことを、この半年ではっきりと自覚しました。だから会社を辞めたことを後悔はしていないです。むしろ、会社を辞めることを前提に、もっと早く貯金や投資、次の仕事の準備とかをしておけば良かったかなと思います。今さら遅いですけど。でも定年直前に気付くほどは遅くなくて良かった。
このブログのカテゴリーは「セミリタイア」ですが、現役を半分でも引退したと言う感覚はないです。単にサラリーマンを辞めて、特に当てがなくてお金もあるから無職でいるだけです。感覚的には、酒屋の息子がビール会社にコネで就職して、社会勉強して、頃合いを見て酒屋を継ぐために会社を辞めた状態に近いかな。継ぐような事業はないですけどね。
今の問題は、お金を稼いでいないと言うことです。退職金もほとんど投資に回さず手付かずです。今までも投資はしてましたが、インデックスのほったらかし投資だったので、投資の知識はあまりありません。今は勉強しながら、少しづつ始めてる状態です。何か収入源が欲しいですね。お金に困ってはいないけど、収入がないのにお金を使う気になれないです。海外旅行も外食も今は手控えてます。
この半年間、ほとんど会話らしい会話をしてませんが、お金があって健康であれば問題ないですね。病気になると、不安になります。病気になると困るのは働いてても同じですけどね。
将来の不安はあります。お金があるからと言って不安はなくならない。いつ大暴落がくるかもしれないし、大災害に巻き込まれるかもしれない。でもサラリーマンだって、将来が安泰と言うわけではない。単に将来を考えてないだけなんだと思います。自分の上司、仕事内容、収入、住むところや身に付くスキルも、サラリーマンであるなら全て自分のコントロール外のことです。そんな会社任せの人生が「安泰」であるはずがない。
いろんな面から見て、どこをどう取っても、会社を辞めたことは正解だったとしか言いようがない。何かの都合で辞めないと言う選択をしたらと考えると、恐ろしいです。今の時点で辞めてなければ、おそらく生涯サラリーマンだったでしょうから。自分史上まれにみる英断をしたなと思いますね。
コメント
自分も会社を辞めたことが判断で一番よかったことかもしれない。
deefeさん、コメントありがとうございます。
正しい判断ですよね。
私も正社員というレールを降りたことは良かったと思います。
いまはお気楽パートをしているんですが「いつでもやめることができるカード」を保持しているのでストレスはありません(笑)
クロスパールさん、コメントありがとうございます。
「いつでもやめることができるカード」と言うのは魅力的ですね。
私も欲しいです。
サラリーマンは羊みたいに何も考えずに黙って後をついてくような感じでないと務まらないのかもしれない。
命令や方針の意味とか考え出すと、不信感だけが積もってくる。