今年の3月末に早期退職をして、無職になって4か月が経ちました。
無職の生活
今は、平日はほぼ毎日図書館に行ってます。午後からですけど、通勤するかのように通ってます。土日や図書館が休みの日は、喫茶店に行ってます。家にずっと居ると言うことは、基本的にないですね。1日1回は出かけないと、気が滅入る性質なので引きこもりにはなってないです。
今の生活の問題点は、生活習慣が乱れて夜寝れないと言うバカみたいな話です。一応午前中には起きてますけど、夜は朝方まで寝れないです。逆に言うと、日々の問題はその程度しかない。やることがなくてノイローゼになったり、退職金を使い過ぎて電気を止められたり、人とのコミュニケーション不足で精神に異変をきたしたりはしてません。とりあえずの生きていくお金さえあれば、職がないと言う状態は人間にとっては何の障害にもならないですね。
早期退職したことを後悔してないか
私が会社を辞めたのは、早期退職の募集があったからでした。退職加算金を通常の退職金に加えてもらえ、失業給付金、社会保険の優遇措置が受けられるのはこのタイミングしかなく、おそらくこの先は早期退職の募集はないだろうと考えて早期退職に応募しました。つまり退職のタイミングは会社が決めたんです。不可抗力のベストタイミングだから、退職のタイミングについて悩むことはないですね。ある意味ラッキーだったのでしょう。これが自分でタイミングを選べる状態だと、それが正しかったのかどうか思い悩むかもしれません。
会社を辞めること、そのものについてはどうなのか。
会社を辞めた今思うことは、サラリーマンが本来やるべきことは、いかに上手く労働から逃れられるかを考えることだったんじゃないかと思います。これはサラリーマンが嫌で仕方がない人も、会社でやりがいを持ってバリバリ働いている人もどちらにとっても。
会社の仕事でのやりがいとは、ほとんどが見せかけのまやかしです。もちろん、やりがいを感じると言うことは、仕事そのもので成果を出して会社の利益にも貢献しているのでしょう。でも、肝心のお金をもらっていない。お金は給料分しかもらえません。お金のもらえない仕事は、仕事ではなくボランティアです。でも客はお金を払ってる。お金をもらってるのは会社。仕事をしてるのは経営者です。
業績連動報酬や成果主義の制度にすればいいと言う問題でもない。本質的にサラリーマンは労働者であって、ただの駒や歯車に過ぎない。駒を動かす側にならないと、顧客からお金で評価される仕事をしたことにはならないんだと思います。そういう意味で、今の会社での仕事でやりがいや、達成感を感じてる人ほど、そのまやかしに気付いて会社から脱出した方がいい。
ホワイトカラーのサラリーマンは、職位が上がるほど経営者側に近づいていきます。技術職で入社しても、営業にも行くし、労務知識も必要。工場で作業者がどうやって製品を作ってるかも知らないといけないし、どんな設備があるかも分かってないといけない。最初どの部署に入っても、ゼネラリストを育成する日本企業では最終的に「何でも屋」になります。会社が事業を行う上で必要な業務を一通り知ってる「何でも屋」です。つまり仕事なんて何しても同じです。自分の大学での専攻なんて、出身地程度の意味しかない。今の会社を出て、まったく違う分野で働いてもそう大して変わらない。
会社を辞めるかどうかを考えていた時、お金や世間体の不安はもちろんありましたが、心の奥底でひっかかってたのが、「そういう生き方をしていいのか」と言う事だったのかなと思います。例えお金の不安がなくなったとしても、そんな世捨て人のような生き方をしていいのか。大学で学んだことや、これまでの仕事でのキャリアを捨てていいのか。
おそらく良かったんだと思います。芸術家や科学者でなく、経済活動の中で商売をする人間として必要なことは、ビジネスや仕事での知識と経験です。そういうのは、会社を辞めたからといって消えてなくなるものではありません。技術職なら技術職の、営業職なら営業職の一つの職種に限定した知識と言うのは、そのまま会社で働いていても役に立たなくなって行くのでしょう。前線から離れれば、どんどん過去の知識になって行きますから。だから、会社を辞めると言うだけでは、身に着けた知識やキャリアをかなぐり捨てると言うことにはならないと思います。
もし今後働かないのなら、たくさんお金をもらえるタイミングで辞めたことは正しい。もし働くのなら、自律的に働ける分「生き方」として正しい。どっちに転んでも正しいです。早期退職したことを後悔してないか-これ以上はない正しい選択をしたんだと、今実感しています。