定年間際の後任者との会話

後任者との引継ぎをしました。後任者と言っても元上司なんですけどね。前はこの人から引き継ぎをされたので、特に引継ぎが難しいと言うことはありませんでした。引継ぎはしましたけど、出張ベースで来ていてすぐ帰るのでまだ私も仕事をしなければなりません。早期退職の話はまだ公になっていません。その人がなぜ来ているのか、他の人がなんと思っているかは、ちょっと分からないですけどね。

引継ぎをする中で、早期退職について彼といろいろ話しました。彼は定年まであと2年です。彼の考えは、あと2年の間なんとかやり過ごして仕事を終えたいそうです。定年後の再雇用制度には応募しない心づもりだそうです。これ以上働くなんてとんでもないと言う感じです。あと2年、何事もなく過ぎて行けばそれでいいと。

彼が言うには「サラリーマンは良い。仕事ができなくても、失敗しても給料がなくなるわけではない。社会的なステータスもそれなりにある。自分で事業をして大きく儲けるようなことはできないけど、大きく収入が下がることもない。理不尽なこともあるけど、それさえ耐えれば安泰だ」と。

彼は私と同様の仕事をしていて、学歴も似たようなものです。年齢は離れていますけどね。同じような仕事環境で、同じような収入得て、同じような理不尽さを味わいながらも、私とはまるで正反対の考えを持っていますね。その辺がおもしろいと言うか何と言うか。同じ体験をしても、全く逆のことを言うんですね。

「サラリーマンが良い」だなんて私は思ったことがありません。サラリーマン生活の理不尽さは、もちろん殺されるほどのものではないので、耐えようと思えば耐えられるのですが、自分の人生の大半をその理不尽さの中で過ごすと考えると、あまりにも人生を無駄遣いしているように思えてきます。私には精神的に殺されるような感覚があるんですね。人生を怠惰に生きたり、逆に高揚感を持ってチャレンジングに生きたり、そのどちらでも人生を無駄にしているとは思わないんですが、神経を削ぎ取られるような生き方はすべきではないと思いますね。神経を削ぎ取られるとは、仕事に高揚感や達成感がないにも関わらず、チャレンジングな課題をこなさなければならないような状態、まさに身を削っているような状態です。いわゆるラットレースです。この状態で働き続けるといずれ精神的に死んでしまいます。

彼も私と同じ会社で同じような仕事環境にいたはずなのですが、結論としては全く逆のことを言っています。サラリーマンは良いと。精神的に殺されるなんて感覚は持っていないでしょうね。もし彼にそんな話をしたら「考えすぎだろ」と一蹴されるでしょう。そうです、考えすぎなんです。仕事など、目の前のことだけをやって、仕事の時間が終わればそんなことすっかり忘れてプライベートを楽しめばいい。仕事に自分の人生観を当てはめようとすると、苦しくなる。苦しみが長く続くと、やがて会社に殺されるよな感覚になってきます。

でも考えすぎる人は、考えすぎるんですね。考えるなと言っても、それは無理なんです。考えてしまう人は、考える人なりの人生を過ごさないとね。それはつまりサラリーマンでない生き方と言うことです。週末の2日だけを楽しみに生きることが苦にならないひとは、サラリーマンのままで問題ありません。今が正社員なら、会社にしがみつくだけしがみついて、サラリーマンの利権を最大限に利用すればいいです。でも週の7日を自分の人生の時間としたいなら、サラリーマンは辞めて、無職か自営業になりましょう。無職も社長も同じです。同じ経営者です。

彼は今は娘さんの近くに住んでいますが、週末ごとに娘さんと旅行に行っているそうです。定年後は長年の単身赴任を終えて、家族と過ごす時間を増やしたいそうです。幸せな家庭ですね。家族のためには少々の理不尽さも耐えられると言っていました。仕事にもやる気はなさそうです。ここだけは私と同じですね。まさにサラリーマンに向いている人と言えます。彼の話を聞いて、サラリーマンに向いていない私は辞めて正解だったなと再確認しましたね。