最終出社日がまた伸びそう・・・

最終出社日がまた伸びそうです。3月末まで来れないかと打診がありました。なんか、もう、あれですよね。辞める辞める詐欺みたいな。打診の言葉の裏には「どうせ暇なんだから来れるだろ」ってのが見え隠れしてて。まあ暇ですから行けるんですけど。そんなこと言ったら、4月以降ずっと暇だから行けることになってしまいますけどね。

私の姿勢としては、会社の要望は基本的にできるだけ応えるようにしています。これは社畜だからと言うより、社会人としての私の基本的なスタンスです。もちろん、有休買い取りと言うのが前提としてありますけど。そういう訳で3月末まで出社となりました。ブログタイトル通りとなってしまいましたね。最初は1月末で辞めると言ってたのに。

後任の人が来て、もう1週間経っています。仕事的にはほぼ、引き継いだ感じで、書類やPC内のファイルの整理をしています。それでもまだ、仕事を振られるときがありますが、そのわずかな仕事の依頼でも、不快さを感じますね。もう辞めるんだから、と言うのはもちろんありますが、仕事を「指示される」と言うことに私は極端に嫌悪感があります。多分ちょっと普通じゃないくらいかも知れません。他の人が、上司から結構きつめの口調で指示されてても、その人は割と普通にその後仕事してるんですね。世の中一般的にはそれが普通なんだと思います。でも私はそういうのダメです。異常なんですね。精神がねじ曲がっいて、外を覆う撚り合わされた藁がほどけて、中の柔らかい臓物がむき出しになっている状態。そんな人間は、おそらく人とこすれ合うような、仕事は無理なんだと思います。つまり、組織内の人間関係工作が主たる仕事であるサラリーマンと言う職業は、向いていないってことですね。サラリーマンだけじゃないかもしれませんが。

どの仕事も向いていないかもしれないと言う恐怖感は、今でもあります。不思議で、滑稽な話ですが、社会人になるときに感じていた社会や会社、仕事に対する恐怖感は、今もなお心の奥底に残っています。社会人として長年働いて、それなりの蓄えがあるにも関わらず。働かなくてもいいのに、もう働けないかもしれないと言う恐怖心が湧き上がる。大人がいまだに宿題を忘れて焦る夢を見る、あの状態と同じようなものですね。植え付けられた恐怖心は、なかなか消えません。

頭の中は、まだ仕事に対する悶々とした感情でいっぱいですが、それでもサラリーマンのうちにやっておこうと、銀行口座や証券口座はたくさん作りました。年収や役職を堂々と書けるのは今だけですからね。今の仕事のことより、本当は4月からの生活の方が私にとっては重大事なはずですから。やるべき事だけは、忘れずにやっておきましょう。