「リタイアとは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言う」

平日に、喫茶店や図書館に行くと定年退職したと言うより、もっと上の世代の人、老人と呼ばれるような人を割と多く見かけます。

そういう人たちは、何をしてるかと言うと、特に何もしてないんですね。

本や新聞を読むわけでも、ゲームをするわけでもない。

ましてや株の取引きや、FXの画面を見てるわけでもないです。

ただじっとして、たまにコーヒーを飲むだけです。

リタイアした人とは、こういう人たちを言うんじゃないかなと思います。

リタイア、現役引退とは単に会社を辞めたと言うことじゃなくて、成長しようとか、もっと贅沢しようとか、道楽三昧したいとかそういう欲求のなくなった人と言うことじゃないでしょうか。

定年退職した程度の年齢だと、今の時代まだまだ若いですからね。

単に働いてないだけで、現役を退いたとは言えないと思います。

それを考えると、「セミリタイア」も本当はセミでもなんでもないんじゃないかなと。

単にサラリーマンを早く辞めたと言うだけであって、リタイアなどとは程遠いんじゃないかと思います。

サラリーマンと言う労働の業魔から逃れるために、労働しないと言う生き方を主体的に選んだと言うことではないかと。

労働の魔の手を避けるためには、投資や税金の勉強、不労所得への取り組みが必要です。

仮に働くにしても、自分を見失わないように主体的に取り組まなければなりません。

そういった明確な意思を持つことを、今の時代は便宜上「セミリタイア」と呼ぶのでしょう。

リタイアはおろか、半分もリタイアしていない。

労働から逃れるために必死に生きています

今私は早期退職をして働いていませんが、「セミリタイア」と言う語感から感じられるものと比べて、今の生活は甚だアグレッシブ過ぎるんですね。

半分でも現役引退をしようとしている人間が、米国株式の購入を検討したり、ブログで毎日発信したりするだろうかと。

日本では老人でもない人が働かないのは許されないので、「セミリタイア」と言う言葉を使っているだけなのかなと思います。

「青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ」(サミエル・ウルマン)と言う言葉があります。

リタイアと言う言葉も同じじゃないかなと思います。

リタイアとは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ」と。

これは「青春」と言う詞の冒頭の一文ですが、同じ詞の中で次の一節がありました。

人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる

人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる

希望ある限り若く  失望と共に老い朽ちる

疑惑、恐怖、失望、いずれもサラリーマン時代に持っていたものでした。

働きながらも、心の様相としてはリタイアしているのがサラリーマンではないでしょうか。

疑惑や恐怖や失望に怯え、自分の人生をお金と引き換えに諦めている。

早期退職した人間より、よほどサラリーマンの方がリタイアと言う言葉にふさわしい。

サラリーマンと言うのは、お金を稼いで、忙しく動き回っていても、老い朽ちているものなのかもしれません。

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コメント

  1. deefe より:

    たしかに会社はリタイアしたが、人生はリタイアしてないかもなあ

    • ナオユキ より:

      deefeさん、コメントありがとうございます。

      人生はリタイアしていないんだと思います。