社訓を浸透させるための唱和
よくありますよね。朝礼とか、会議の前とかで。社訓に限らず、社是、経営理念、行動指針、品質方針、安全5原則、ミッション、ビジョン…。上げたらキリがないくらいのこの手のものを唱和することって。全員唱和とか、ひとりづつ前に出て発声するとか。体育会系的な会社だと大声を張り上げてそうですね。
なぜ社訓を唱和するのか。経営者の理念やビジョンを従業員末端まで行き渡らせ、組織として同じ方向を向いて仕事をするためです。会社と個々の従業員が同じ方向を向けば組織は大きな力を発揮します。組織である会社が大きな力を発揮するのは、会社の進みたい方向と、個人のやりたいことが一致しているときです。だから会社の方向性を従業員に浸透させるために唱和をするのでしょう。
苦肉の策の唱和
でもね、毎日声を上げてそれを読むことで社訓が従業員に浸透するのでしょうか。書いてある文章なんて一回読めば分かりますよね、大人なんだから。ただその通りに行動するかどうかは別問題です。「浸透」とは「同意」と同じです。毎日声を上げて読むことで、無意識に言葉が頭に入って、同意に繋がると思っているのでしょうか、日本の経営者は。
この習慣は大企業でも平然とやっています。中小企業の素っ頓狂なワンマン経営者がやってる話じゃないってことが恐ろしいところですね。大企業の幹部の方々はおそらく、バカじゃないので、こんな唱和で経営理念が従業員に浸透、つまり考え方の指針になるなどとは思っていないと思うんです(思ってたら怖いですけど)。ただ浸透や同意と言うのは心の内面の問題なので、浸透したかどうかを測定のしようがなく、具体的な実効性のある浸透のための方法と言うのもほとんどないです。仮に浸透度合いを確認するためのアンケートや、面接や、論文提出などを行っても、それで不利益を受けるなら本当のことは書かないですよね。心の中のことは誰にも分らない。でも何かやらないといけない。苦肉の策として社訓の唱和程度でやったことにしておくか、と言った感じでしょうか。
社訓の唱和は会社の不健全さの表れ
ここに組織運営の難しさと、企業が人心を操ろうとする悪魔に成り代わる危険性があります。組織が力を発揮するには会社と従業員との理念の共有化が必要です。それはその通りです。しかしそれを急ぐあまり、同意より手っ取り早い洗脳や、恐怖、ハラスメントを通じて、組織は人の行動を変えようとします。洗脳の手段が、朝の社訓の唱和程度で済んでいるならまだ良心的なのかもしれません。
この測定不能な内面の問題を突き詰めると、単に社訓の唱和などの浸透の施策を実施するだけでなく、浸透の程度を確認するようになってきます。本当に社訓が浸透しているのか、理解して納得しているのかを何らかの方法で示さなくてはなりません。行き過ぎると北朝鮮のような、そこまで行かなくても集団の前での自己批判や相互監視の指摘制度など、管理者側に馬鹿で真面目な人間がいると恐ろしいことになっていきます。会社、つまり我々みんなのためなら、人の心の中に手を突っ込んで考え方を変えていいんだと、そう言う考え方に変わって行きます。
逆に言えば恐怖や洗脳によらずに、会社と個人の方向性が本当に同じになったなら企業は成長し、従業員はやりがいと報酬を得られます。社訓の唱和のような滑稽なコントを毎朝やってる場合じゃないと思うんですね。そしてこんなことの様式美、唱和のやり方だとか、声の大きさだとかを突き詰めてもいけないです。社訓の唱和そのものには実害はあまりないですが、会社の不健全さを現す一つの指標になると思います。不健全な会社にはいない方がいいですよね。
コメント
私も三月末仕事を辞めました。
ただ、私は外人なので、三か月以内再就職しないとビザが切るんです。
それでぎりぎり七月に無事入社しました。
けど…
入社後の唱和なんと一日三回もあります。
朝、昼休憩後、午後休憩後。
しかも休憩は同じスペースに居ないといけない
全然リラックスできない。まるで軍隊生活。
日本人はみんな結構微妙な雰囲気してるが
みんな文句言わない。私だけ言うw
やはりおかしいですよね
唱和してる時間は無駄でストレスになちゃうんです
それでインタネットでいろいろ検索したら
こちらのページ拝見しました。
日本人は本音言う人はほぼいないです
それがおかしいだとしてもみんな文句せず我慢してる
じょさん、コメントありがとうございます。
おかしいですよね。
日本人でも、おかしいなと思っている人はいます。
でも、それを口に出して言う人は少ないです。
本当のところは、唱和をさせている側にも、おかしいなと思っている人もいたりします。
でも決められていることは、守らないといけない。
日本の社会の変なところです。