辞めてもどうせ同じなら辞めればいい

「会社辞めて他に行ってもどうせ同じだぞ」

と言う人がいますよね。これは確かにそうかもしれません。

確かにどこに行っても人間関係は似たようなものが出来上がります。苦手なタイプはずっと苦手で、多くの人と関わる環境ではいろいろなタイプの人がいるので、必ず苦手なタイプはいます。時にはその手の人たちと深く関わらざるを得ない時もあって、そういう時はかなり精神的に辛いですよね。だから、会社を辞めるな、と言うのは一理あるかもしれません。

今の日本の社会は、業界にもよると思いますが、終身雇用制がまだまだ主流で、中途採用は一般的ではありません。だから転職は収入や、立場的なもので不利に働く場合が多いですね。転職せずに一社に定年まで勤める方がいろいろな意味で有利です。だから、会社をやめちゃいけない、やめられない。どんなことがあっても辞められない状態になっています。どんなこと、とは自殺にまで自分を追い込むような環境のことです。

呪いの呪文

日本の自殺者は年に2万人です。交通事故の死亡者は年に4千人。日本の労働者が気にかけなければいけないのは自殺をしないことです。異常ですよね。犯罪や事故より自分が自分を殺さないかを気にかけないといけないなんて。

「どうせ同じだからやめるな」とはそんな収入の意味とは別に、逃げ出すな、裏切るなとの非難の意味が込められていると思います。抜け駆けを許さない掟のような。そしてその言葉は、単にそれを言った人が思っているだけでなく、言われた人も少なからずそう思っているので、その考えを素直に受け入れてしまう。まるで社会全体に張り巡らされた呪いの呪文のようです。その呪文は強力で、時に人を死にまで追いやってしまう。まさに虐殺の文法です。

犯罪のような他者からの危害は少なくても、内面から人を傷つけていくのが今の社会。北風と太陽の寓話を裏返しで使っているような、特異な状態ですね。「どうせ同じ」、「逃げるな」、「満足するな」、日々繰り返される小さな呪文は、逃れられない戒律となって、確実にある一定の割合で人々を殺して行きます。その割合は、精神的に追い詰められている人を含めればもっと多いでしょう。

「どうせ同じ」なら辞めればいい

「どうせ同じ」なら辞めればいいと思います。死ぬほどの苦しみがある環境になんて、1秒たりとも居る必要がない。辞めて会社や所属する組織が変わっても、また同じことを繰り返すかもしれない。でも今目の前にある苦しみの状況を甘んじて受け入れる必要はないです。目の前が苦しければ逃げ出せばいい。やり直しは次の所でやればいい。

会社は人生を捧げるところじゃない。所詮我々は労働者であって、会社に多大な貢献をしたところで、その仕事の名誉も売上も全部会社のものです。労働者は、会社とはもっとドライに、損得勘定で付き合った方がいい。ましてや精神を病むほどの忍耐をするような場所では断じてないです。

金銭的な算段は別の頭でしなければならないと思います。セーフティネットは自分で作らないといけない。失業保険てのは即死を免れる意味合いでしかありません。それとは別に個人がすべきことは、早く呪文を解くことですね。世間体や、親や親せき、友人の軽い何気ない親切な呪いの言葉、それに傷ついたり腹が立ったりするのは呪文が効いてる証拠です。王子さまは現れません。自分で呪いを解かないとね。