会社に何も期待してはいけない

会社とは何でしょうか。

会社とは事業を行うために、資金や設備、労働力の経営資源を集め、利益を出す組織です。労働者はその経営資源の一部であって、その事業にとって不要なら手放すだけの存在でしかありません。労働者側も労働力の提供の代わりに、報酬を得るだけの場所に過ぎません。

しかし日本の会社はそんなお金や契約のやりとり以外にも、多大な役割を果たしています。個人の成長、人間関係の保持、やりがいの提供。他にも、社宅や、家族手当などの家庭生活の維持や、もっと言えば結婚相手の手配など、正社員で雇った人間に対しては人生のすべてを賄っているような感じです。まるで学校の延長のように、家庭の延長のように、人生の大半を、時間と言う意味だけではなく、人生そのものが会社の中で営まれているようです。

これまでの会社は人の人生を全て受け入れ、その人の成長から生み出される利益を全て会社の利益として得てきました。優秀な人間もそうでない人間も、社会全体の成長の中で多少の不整合は相殺され、全体として成長していったのが今までの会社です。会社にとっても社員にとっても幸せな時代だったのかもしれません。

しかし現代は、社会が成熟し、人口増加が止まり、世界的大企業と競争する中で、そのような組織スラック、余裕がなくなっています。その中で露わになったことは、やはり会社は学校でも家庭でもなかったと言う当たり前の事実です。

学校や家庭でないと気づいた会社は、目前の利益の追求のために従業員を削減し、残った従業員を酷使します。減少する利益の前では、思いつく短絡的なその奴隷労働を強います。ブラック企業のような従業員の酷使はその典型です。これは経営者が悪質だからと言うより、無知さ故の悲劇のようなものでしょうか。

労働者はいまだ、会社に対し人生のステージの場であるとの思いがあるため、異常な労働環境下でも逃れられずに堪えています。多少の困難さや不合理さがあっても、それこそが人生の壁であると、逃げ出してはいけない私の人生であるとの思いです。

会社は人生のステージでもなければ、人の人生を預かる公器でもありません。我々は会社に過度の期待をしていないでしょうか。自身の成長や、人間関係の喜び、生活の快適さを会社に求めていないでしょうか。また会社側も、会社の立場で発言する場合も相手の人生に踏み込み過ぎていないでしょうか。人が集まっている以上、喜びや摩擦が起きるのは当然ですが、それを恣意的に相手の心の中に踏み込んで人心を動かそうとか、不快な環境の中で不満を持ちながら傷つきながら耐え忍んで長年を過ごすとか、まるで脱走できない掟に縛られた家長制の村のようなものに感じていないでしょうか。

労働者にとって、会社はお金を得る場所です。賃金が少なかったり、人間関係が悪かったら辞めればいい。もちろん今の終身雇用制が前提の会社では、会社を辞めることは不利益に繋がるので簡単には辞められないです。でもそれとは別に、会社を辞めるにあたって、逃げや裏切りなどの言葉が頭をよぎるなら、会社に人生を預けすぎているのだと思います。会社は「正しいもの」であるとの情緒的な期待がその背徳感を呼び起こすのでしょう。

会社は収入源の一つであって、コミュニティの一つに過ぎない。それを実際に実行に移したのがセミリタイアと言う生き方ではないでしょうか。収入源もコミュニティも複数持っていれば追い詰められることもなくなるのではないかなと思います。

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