全ての仕事は無駄かもしれない

無駄な仕事ってありますよね。それ何のためにやってるの?って仕事。

会社のお偉いさんが見えを張る為の仕事だったり、お偉いさんの機嫌を取る仕事だったり、違う部署で同じことやってたり、前年一回やったことをもう一回違う方法でやり直したり。

穴を掘って埋め戻すような、罰ゲームのような仕事がありますね。

そういう本当はやらなくていいんじゃないのって仕事は、上層部に関係が近ければ近い程増えて行きます。

社内向けアピールための仕事は無駄な仕事が多いです。そのアピールする人が上の人ほど、影響を受ける人間の数が増えるので、ことさら無駄を生みます。

階層の多い大企業では特に、その無意味な仕事が多いですね。ものを作るとか、お客さんに売るとか、開発するとか、そういう実体が見える仕事じゃない仕事ってのは無駄に見えます。

でも実体が見える仕事でも無駄に見えることってないでしょうか。

お客さんの都合だから、お金もらってるから何も言わないけれど、違う部署で同じもの買ってたり、古くもなってないのに買い替えたり。

誰も使わない高速道路や、空港や、箱物が造られたり。

社内アピールのようなものじゃなく、実際に対価が支払われているものでも無駄に見えるものってたくさんありますね。

無駄。無駄って何でしょうか。

かけたコストに見合ったリターンが得られていないってことですね。

社内アピールなんて、それ自体は利益を生まないので無駄に見えます。使われない空港も収益を生まないので無駄に見えます。

でも社内アピールは大きな組織を動かすのには、必要な事かも知れません。使われない空港も工事そのものには工賃が支払われて経済が循環しているので、無駄と言えないかもしれません。

ここで難しいのはリターンの評価の基準ですね。

コストはモノの価格と賃金で出ますが、リターンは単に利益とも言えないところがあります。

会社で言えば、経営企画や人事とかは直接的な利益は生まず、「人材育成が成功した」と言った曖昧な評価が成果になったりします。

エンターテイメントの産業も、その評価基準は「楽しかった」と言った曖昧なものです。

リターンと言うのは非常に評価が難しいです。

難しいが故にそれが無駄かどうかも、本当のところは分からない。

つまりそれは、全ての仕事は無駄かもしれないし、無駄じゃないかもしれない、無駄かどうかを考えることそのものが意味のないことじゃないでしょうか。

極論を言うと、全ての仕事は無駄です。やらなくてもいいかもしれない。

仕事の本質とは、対価を得られること、それのみであって何かの役に立っているかどうかではないです。

ただ、人間は感情の動物であって、何かしらの動機や喜びがないと精神的に死んでしまいます。

仕事をどう動機付けと結びつけるか、それが人が仕事をする上で大切なことと思います。

これまでの会社は、社会全体の成長の中で、人生と会社が結びついて小さな世界でラットレールをしているだけで、動機付けとしては十分でした。

現代は、社会の成長が止まり、ラットレースだけが続いている状態です。

もう会社はおいしい果実をくれません。目先の利益が大事で、やりがいも希望も与えてはくれません。

そもそも口を開けて社会のおこぼれをもらっていたような会社に、組織や人事のイノベーションを起こす能力はありません。

早く会社を離れて、自分で働く意味を見つけなければならないですね。