一般的に、若い時代は自由を謳歌し、歳をとるに従って社会に縛られ不自由になっていくと言うふうに思われていると思います。でもそうなのかなと、最近感じます。
若いころは縛られるのはせいぜい学校で、責任やお金が関係するような会社組織には縛られていません。自分の職業も、基本職業選択の自由があるので、能力さえあれば何にでもなれます。一度就職したところの仕事が嫌で、他の仕事に代わるのも割と簡単にできます。学生なら長期旅行も可能だし、自由時間は多めですよね。
そういう行動面の自由は大いにあると思いますが、精神面ではどうでしょうか。学生時代の長期旅行は、裏返せば社会人になったらそんな長期に休みが取れないと言う予測の事前対策のようなものではないでしょうか。どんな仕事にも就けるとの思いは、歳をとってから仕事を変えるなんてできないとの思いがあるからではないでしょうか。
若いころほど、ステレオタイプの人生観が染みついているのじゃないかなって思います。新卒で就職して、車買って、結婚して、家買ってのような。決まったレールの上を走りたくないと、アンチステレオタイプの生き方を目指す人もいますけど、それは「標準的な人生」を社会の軸として認めた上でのアウトローなので、結局はレールのに居る人と同じ考え方をしていますね。
自分の人生観が定まっていないので、周りの大人やテレビから影響を受けて、それに従った人生観を持つのはある意味、当然でそれが国民性を形作るものでもあると思いますね。だからこそ、若いころと言うのは精神的には不自由な状態じゃないかなと思うんです。判断する能力がない状態では、たとえ行動面の制約を受けてなくても、それしか選べないですよね。自分が不自由であることも分からない。
ここで言う能力とは、論理力とか知識ではないです。大学生くらいになれば、そういった力がもっと上の世代より劣っているなんてことはないと思います。人生観を判断する能力と言うのは、自分が聞いたり学んだりした様々な理屈や知識と、自分が体験した物事とを1本の糸のようなもので結びつけて、自分の中で一つの連なった考え方を持っている状態で、それを基準にして物事の判断ができる力のことです。実体験や、様々な考え方に触れる機会がないとこういうのは持てないです。
歳をとって、自分の価値観が形成されてくると、それまで何となく受け入れてきた既存の考え方と言うものに疑問が出てきます。そういう疑問を持ったまま日々を過ごすと、やがてその違和感が強固なものになって、そこから離脱しようとしていきます。世間体、車、出世、その他もろもろ、どうでもいいやってなるんですね。大事なのはそこじゃない。
早期退職やセミリタイアを目指す人はそうなっていった人が多いんじゃないでしょうか。セミリタイア志向の人のブログを読んでも共感することが多いですね。社会的呪縛からは解放されていると言うか。でも行動面、肉体面は束縛されたままなので苦しんでいる状態ですね。
本当の自由と言うのは、大人になってある程度歳をとらないと掴めないものなのかも知れません。そのためには、お金、またはお金を稼ぐ手段と、価値観の転換が必要です。お金だけ持ってても、呪縛が解けなければ自由になれません。自分自身での価値観の形成が必要ですね。精神面の自由が何より大事です。もっと早く気づいていたらなと思います。