成長神話を捨てよう

私たちは子供の頃から、学習して成長する事を教えられてきました。もちろん子供時代は体も心も成長するので、学習や成長は自然なことです。しかし、この成長すると言うことは大人になってからも求め続けられています。社会人としての成長、技術者としての成長、企業の成長。その場に立ち止まることは許されず、常に改善して上昇する事を求められています。

成長しなくてもいいから今のままでいい、利益が増えなくてもいい、現状維持でいい、と言うのが許されない状態です。なぜなら周りが成長するから。他の会社が成長して、または今までになかったような会社、例えば巨大な外国企業が競争相手になるなどして、競合企業はより強くなっていきます。その中で自社が成長しないと言うことは、現状維持すらできず、衰退していくことになってしまいます。

だから、会社は個人に成長を求めます。求めると言うのは、できればいいなと言う意味ではなく、会社のシステムに組み入れて成長することを必須のこととして要求します。そういった会社が世の中の大半を占めるため、社会全体も個人に成長を求めます。今のままでいい、と言うのは会社だけでなく、一個人においても許されないような考え方になっています。たとえ老人でも夢を語るような人が賞賛されています。

成長とはなんでしょうか。売上が増えたり、顧客を開拓したり、新しい技術を開発したり、作業の改善をおこなったり。今までにない新しいことにチャレンジして成果に結びついていることですね。今までにない新しいことと言うのは、新しい事を想像したと言うこと。チャレンジしたと言うことは、どこからかやる気が出て行動を起こしたと言うことです。つまり、成長とは想像力と、動機付けがその要因であって、個人の頭と心の中から出てくるもので、極めて個人的事情の出来事です。

その個人的事情を会社のシステムに組み込むとどうなるか。会社は従業員の心と脳を管理しようとします。でもそれを管理するシステムなどこの世にないため、人を精神的に追い詰めるような歪な仕組みを作り上げます。社員教育に熱心な会社ほど、従業員の想像力と動機付けを奪っていきます。成果を上げた社員と言うのが、閑職に追いやられて自由に活動していた社員であったりするのも良くある話ですね。

他社と競争する会社が従業員に成長を求めるのは当たり前なのかもしれません。でも個人にとっては、必ずしも競争環境にあるわけではないので、成長が必須のことではありません。今のままでいいと言う考え方は、何かやる気がなく堕落した考え方のように捉えられています。しかしそれは堕落ではなく、フラットな状態なんだと思います。何事もない日常が続いて、日々を暮らしていく、その中で幸せ感じることができるなら、それが正しい人間の姿なんじゃないかと思います。

ただ、人間の脳はいろいろなことを考えるため、何もないことが続くと退屈してしまいます。その中であれやこれやと張り巡らした想像力が、文化を発展させてきたのでしょう。

大人になった人間はもう成長の必要はないです。淡々と日常を過ごして行けばいい。人間は成長したり、文化を発展させたりするために生まれてきたわけではない。幸せを感じるためだけに生きればいいです。それが人間の本来の姿です。

個人の成長が会社の成長につながると、もし本当に考えるなら、個人の成長を促すシステムを作らないといけません。それは目標管理のような個人を監視するためのシステムではないです。想像力と動機付け、これらを促進するためには、逆説的ですが、想像しないことややる気を出さないことを認めることが必要です。誰しもが、毎日成長し続けるべきだと言う成長神話を捨てなければなりません。それは不可能と言うより、成長を押し殺して行く考え方になります。成長のためには、成長しない自由を。

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