雇用の安定と引き換えに差し出しているものは、心と体の自由

日本の会社は簡単には従業員を解雇できません。解雇すると従業員の収入が絶たれ、生活が脅かされますからね。解雇にはかなり制限がかけられています。解雇できない代わりに、会社には従業員に対する指揮権にかなり大幅な裁量が認められています。従業員は、仕事上の業務命令だけじゃなく、仕事内容や、転勤など会社の命令一つでなんでもしなければなりません。

技術職で入ってきたのに、営業に行ったり、現場管理をしたり。職業選択の自由なんてないに等しいですね。転勤もひどいです。住んでいた場所を変えると言うことは、それまでのコミュニティが、家族まるごと根こそぎ分断されるって意味ですからね。子供もパートナーもすべての人間関係がリセットされてしまいます。それが嫌なら単身赴任で家族間の分断になりますからね。それも突然、自らの意思とは無関係に決まりますから。

会社に就職するとは、簡単に解雇されないと言う雇用の安定と引き換えに、職業を選ぶ自由や、居住の自由、勤務時間外の行動の自由、全てを差し出さないといけないと言うことです。その憲法レベルで保障されている自由が侵されている中で、業務上の無理目の目標や、毎日の数時間レベルの残業、休日出勤、暴力を伴わないような叱責などは十分許容されるものとして、会社の裁量範囲内として認められています。

残業100時間とか、休日が月に3日以下とか、うつ病の診断書だとか、そういった数値や現物で確認できる「証拠」がない限りは、会社はほぼ無制限になんでもできます。裁判所が認めていますからね。それらの数値範囲内であれば、会社はいくらでもパワハラで従業員を精神的に追い詰められます。労働者が会社に差し出しているのは、職業や居住と言った体の自由だけでなく、精神や心の自由もです。

おかしいですよね。どう考えてもおかしい。労働力は提供しても、そこまでの個人の自由を渡していなかったはずなんです。でも転勤命令には素直に従いますし、職種の違う仕事にも反発せずに新しい職場で頑張ろうとか思ったりします。できるはずのない目標を立てさせられて、未達で叱責されても自分が悪かったんじゃないかと反省したりします。

おかしいのは、会社や国だけじゃなく、労働者側もなんだと思います。雇用の安定を望むあまり、簡単に解雇されない、つまり簡単に中途入社できない社会ができてしまった。人を雇用した会社は簡単に解雇できないので、可能な限り一従業員から利益を得ようとします。どれだけひとりから搾り取れるかが焦点となって、ブラック企業のような会社を生みます。労働者側も簡単に再就職できないので、命令には素直に従います。雇用の安定の代わりに差し出すものがあまりにも大きすぎます。

日本の会社は全てがブラック企業のようなものだと思います。大半の会社は、法に触れていないだけであって、体質的にはブラック企業体質です。従業員のすべての時間と能力を会社が使っていいんだと言う考えが支配しています。それは会社だけじゃなく、国や労働者側にもです。その支配的な考え方に疑問を持つと、もうそんなところには1秒たりとも居たくないと思ってしまいます。疑問を持った時点で、サラリーマン人生は終わったんだと思います。魂の退社ですね。

今の感覚は、もっと自由に大空を羽ばたきたいと言った感じより、奴隷から普通の人になりたいと言った感覚が近いのかも知れません。異常ですよね、会社に自由を根こそぎ奪われて、なおかつ会社に貢献しようなんて考えるのは。ついこの間までそう思っていましたけど。気付いてしまったものは、もう戻れないですよね。