諦めたらそこで試合終了なのか

「諦めたらそこで試合終了ですよ」

スラムダンクの有名なセリフですね。

諦めた段階で、勝つ可能性はなくなってる。
その後に起きるかもしれなかった逆転の可能性も
相手の失策の可能性も全部自分が放棄したことになる。
相手に負けるより、自分に負けたことになりますよね。
最後の最後まで勝利に執着して全力を出さないと勝てないです。

だから、諦めてはいけない。何事も。
諦めない限り負けたことにならない。
最後の最後まで、死ぬまでやり抜け。

それは正しいと思います。
勝つためには。

でも、人生全般に「諦めない」と言うことを
座右の銘のように掲げると、非常に苦しくなります。

「諦めない」とは、
物事が自分の決めたあるラインを超えるまで
ずっと、何度もやり続けること。

何度も何度も失敗しても、さらに挑戦し続ける。

失敗してるから、お金や達成感など、
何らかの成果と呼べるものはないのです。

成果もなく、やり続けるとは、
その事に執着し、こだわり、自分を何かに囚われたような状態にして
日々を過ごすことです。

物事に執着し、囚われた状態とは
煩悩に悩まされる状態
つまり、この世の地獄のこと。

「諦めるな」とは、今の世の一般常識的な
賞賛されるような物事に対する態度だと思います。

しかし、この世を苦行に満ちた世界に変え、
息苦しさをもたらし、生きる希望さえ失わせ、
地獄に変えるのもこの言葉でしょう。

諦めればいいと思うんです。

もっと人に良く思われよう、
もっとより良く生きよう。
今のままじゃダメだ。
こんな生き方は恥ずかしい。

この世を地獄に変えるのは、その囚われた感情。
物事への執着が人を狂わせ、心を蝕んでいく。

自分をあるがままで受け入れ、
そのままで、生きていこう。

人間には成長も発展も必要ない。

もちろん、苦しい努力に耐え、成果を出したい時は、すればいいと思います。
でも常に成長し続けなければならないことはない。
ましてや、それを人に命令される筋合いはない。

あるがままでいよう。
そのままでいよう。
石や草のように、ただそこに生きよう。

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