パワハラやセクハラ、直接的な暴力でない暴力が最近は取り上げられていますね。
殴る、蹴ると言った暴力は分かりやすいですが、
これらは分かりにくい。
言葉の暴力とも言われます。
だから言葉の使い方や、言葉の選び方に気を配るようになってきていますね。
今はたとえ上司でも、部下に対して乱暴な言葉を使うことは良しとされなくなってきました。
ただ、これは言葉の問題なのでしょうか。
例えば、あなたの同僚が隣で、仕事で失敗して上司にひどく叱責されていたとします。
隣で聞いているあなたは、何のダメージも受けないと思います。
当然ですね。自分に言われていないから。
でも風向きが変わって、その失敗の原因があなただった、となったらどうでしょう。
その瞬間、それまでの罵詈雑言が全部あなたに向けられたものと感じて
かなりダメージを受けないでしょうか。
それまで上司が言った辛辣な言葉は、言葉そのものは、過去のもので、
同僚が叱責されていた過去と、あなたが失敗の原因であると
風向きが変わった今とでは何も変わっていないのです。
何が変わったのか。
変わったのは上司の感情です。
あなたに対する感情が、無関心から怒りに変わりました。
あなたがダメージを受けているものは、言葉ではなく相手の感情。
人が傷つくのは人の感情です。
しかし、人の感情とはよく分からないものです。
怒っているのかなと思っていても、当人は何も感じてなかったりしますよね。
人の感情とは、つまり相手の感情を想像するあなたの想像力に他ならない。
相手を気遣い、思いやり、忖度しようとする人は必死に相手の感情を想像します。
なぜ忖度するのか。
相手の評価を得ようとするから。
これは上司でも部下でも年上でも年下でも関係なく、相手の評価を得たいから。
なぜなら、人の評価で初めて自分が肯定されるから。
相手の評価を得たい人、そういう傾向の強い人とは
いわゆる自己肯定感の低い人のこと。
自己肯定感の低い人は
自己の存在理由を他人に委ねたために
過度に相手の感情に支配され
相手の感情の僅かなブレで自分の存在理由が脅かされ
傷ついていく。
相手の感情と言うのも、突き詰めると
自分の想像のため、
いかようにも自分で自分を傷つけていく。
終わりのない、負のスパイラルに陥ると
無限の地獄が待っています。
相手の感情に支配されないようにしよう。
嫌われても構わない。
上司や部下、親や先生、その他もろもろ。
意見は聞いても、感情は渡すな。
あなたの感情は、あなたのもの。