会社を辞めると言うのは一大事です。だから続けるための努力をどれだけしたのかと言うのが問われます。上司と相談したのか、同僚と相談したのか、他部署へ働きかけたか、自分にも非はないか、自分が変わる努力をしたのか。努力を怠りながら、辞めたいと言うのはただの甘えだと、大人として情けないと言われます。
ここまで耐えたと言うことを証明しなければなりません。毎日終電で帰っていた、罵倒されても反論しなかった、理不尽な命令にも従って仕事をした。これだけ耐えたのだから、がんばったのだから、会社を辞めてもいいじゃないか。そういう我慢のエビデンスを自分に提出しないと辞められません。
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この我慢のメンタリティはどこから来るのでしょうか。
自分が頑張った、努力したと言うことは、大人になると誰に見せるものでもないですけれど、心の奥底では誰か自分を評価している人に見せているのではないでしょうか。それは、自分が子供だった頃、親や、先生などの大人たちに努力の姿を見せて評価されていた、その感情が今でも深く心に根付いていて、その架空の「大人」に自分を評価してもらうために努力していないでしょうか。
どれだけ頑張ったかは、大人の社会では何の評価にもなりません。結果がどうなったかだけです。
「会社を辞めるべきか否か」と言う論点に対しては、収入だけが評価の対象です。収入が多いか少ないかではなく、自分が希望する収入が得られるかどうかです。
もちろんそう言った経済的合理性の前に、身の安全が最優先しますけどね。精神的に追い詰められている人は早く逃げた方がいいです。
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「どれだけ頑張ったか」は、つまりは「どれだけサボらなかったか」です。それを判断するには、プロセスをつぶさに見る必要があります。親や先生が子供の成長をつぶさに見るような、ある意味人権をはく奪した監視体制が必要になります。一般に大人はそこまで監視されていませんが、プロセスを重視する人は自分の中に住み着いた保護者に向かって証明するために頑張っている姿を見せようとします。
経済活動の中で生きている以上、自分を評価する人は親や先生や人生訓をたれる上司や先輩ではなく、顧客です。自分の顧客とは、自分を雇う人、自営業なら客そのもの。会社を辞めるかどうかは顧客の評価で決めるべきですね。つまり、転職が可能か、独立してやっていけるか、無職でも暮らせるか。
どれくらい耐えれば会社を辞めてもいいのか。その答えは、どれくらい耐えたかどうかを判断基準にしてはいけない、です。