なぜ会社に行きたくないのか?
子供の時も思っていましたね。
「学校に行きたくない」「学校なんかなくなってしまえばいいのに」
あの頃からメンタリティは変わっていません。
理由を考えたいと思います。
人と喋りたくない
<hr />基本的に人とは喋りたくないです。疲れます。
正確には、喋ることそのものより、相手の反応、言葉を聞くことが疲れます。
否定的な言葉、攻撃的、暴力的な言葉を聞きたくないですね。
これらの言葉には多分に人格否定の意味があって、
でも、否定的な感情のやり取りさえも受け入れることによって
人間関係を深めて行く
と言った考えが根底にあると思います。
こういった言葉を使う人たちには。
だからその人たちに悪意や他意はないのでしょうが、
そうでない人達にとっては、苦痛以外の何物でもない。
人間関係の構築が、幸せに繋がっていない人達と言うのは少なからず存在します。
社会生活を送る人間にとって、それはとても不幸なことなのですが、
そうなった人にとってはどうしようもないんですね。
人間関係を作る能力が高いと、より幸せになるのはそうだと思います。
でもその能力の低い人が苦痛を受けても構わないわけではない。
人との会話はその苦痛をもたらします。
会社に行って人と喋らないわけには行かないですからね。
だから会社に行きたくない。
拘束されたくない
<hr />会社、上司からの指示、命令。
どうしてあんなに嫌なんでしょうか(私は)?
自分で考えて決めたことと、会社の指示。
ほぼ同じ内容でも会社からの指示は虫唾が走るような
嫌悪感を持って受けてます。
組織活動は指揮系統がないと動かないし、
組織だった活動をするがために、大きな力を
発揮するので、指示や命令は当然なんですけど、
命令されるのは嫌です。
一つひとつの指示はまるでナイフで一回ずつ
刺されてるかのような感覚です。
このとき、指示内容の正当性や妥当性は
あまり関係なく、問題は
「命令された」と言うこの事実です。
私に命令する人達は、私の自由を奪っても構わないと
当然のように考えている人達です。
その人達の頭の中、何か尊大で傲慢で
人を支配する快楽のような感情の起伏を感じます。
そこまで言うと大げさかも知れませんがね。
拘束が嫌なのは
時間や行動の制限そのものよりも、
そういった命令する人達への服従感なのかもしれません。
じゃあなぜ、そんな場所へ毎日行ってるの
って話ですが。
それはまた後日