GWが楽しみだった理由

もうすぐGWですね。

無職で、毎日がエブリデイで日曜日の私には関係ないんですが。サラリーマン時代は、やはり楽しみでした。GW、盆休み、正月休み。休み前の気分は子供の頃と同じです。指折り数えて、あと何日で休みだなって心待ちにしてました。

でも休みに大した予定もなかったんですけどね。GWが楽しみだった理由は、1週間くらい会社に行かなくていいから、と言うそれだけでしたね。

そんなに会社が嫌だったのかと言われれば、そんなに嫌でした。

でも休日出勤は、そんなに嫌じゃなかったですね。もちろん、休日がなくなると言うのは嫌でしたけど、休日の仕事と言うのは嫌ではなかったです。休日は電話もメールも来ないし、人とも喋らないし、トラブルも起きないし。仕事はしてても平穏でした。

多分、会社が嫌だと言うのは電話、メール、上司・部下との会話などで、対応困難な問題が湧き上がってくると言う、その瞬間の不快な感情が嫌だったんではないかなと思います。

仕事上の人とのコミュニケーションは、大半、不愉快なことしかもたらさないですから。その不愉快さが一切発生しないことが保証されているのが、長期休暇です。だから、大した予定がなくて喜びはなくても、不快さがないので、休みが楽しみであったのでしょう。

マイナスの状態がないから幸せ。これは本当に幸せなんでしょうか。マイナスの状態がないと言うのは、一つの問題が起きてから、次の問題が起きるまでの間であると言う意味です。その時間は平日でもあります。ただ、ちょっと短いのであまり幸せを実感できない。でもその期間が1週間くらいあると、平穏な気分を味わえる。つまり、その幸福感を味わえる期間は自分で勝手に区切ってるだけです。不快への恐怖心が高まれば、たとえ1週間の休みでも平穏とは感じられないのでしょう。

「嫌なことが起きないから幸せ」とは、その幸せな期間の定義付けで、幸せかどうかが変わります。だから、何も起きないと実感できる期間が長くなるほど、どんどん幸せの基準が厳しくなって、不幸になっていきます。嫌なことが起きないと言うのは、かなり受け身の態度なので、幸せを感じられる「何も起きないと実感できる期間」も何かの拍子に長くなる可能性があります。今まで日曜日の夜だけが憂鬱だったのが、土曜日の夜から憂鬱になるような。つまり、受け身で感じる幸せと言うのは苦痛を忘れている期間でしか感じられず、その時間の長さは「忘れる」と言うことが基準なのであまり自分でコントロールできません。

そういう受け身の幸福感しか感じられないなら、主体となっている事の方を見直した方がいいですね。受け身の幸福感は自分でコントロールできないので、どんどん期間が短くなり、縮小していっていずれ消えてしまう可能性があります。

GWが楽しみな理由が「会社に行かなくていいから」だけだと、いずれ何をしても幸福感は得られなくなりそうです。

自分が主体的に何かに取り組んでいることで幸福感を感じられないと、一生満たされないままで終わりそうです。今は会社を辞めた直後で、まだサラリーマンの感覚で休みを味わっている状態ですが、いずれこの感覚も忘れてしまうでしょう。その前に自分にとっての幸せとは何なのかを探さないといけないですね。