サラリーマンに向いている人、向いていない人

サラリーマンに向いている人、向いていない人と言うのはありますね。サラリーマンは、いわゆる営業や開発と言う職種だけではなく、サラリーマンと言う職種にも属しています。どちらかと言うとサラリーマンは、営業や開発より「サラリーマン」と言う仕事をしていると言った方が正しいですね。開発やってた人が営業行くのはよくあることですから。

サラリーマンと言う言葉からは定期的に給料、サラリーをもらう人と言う定義付けが思い浮かびますが、もっと特徴的なことは会社と言う組織の指揮系統の中で仕事をしていると言うことでしょう。サラリーマンに向いているか、向いていないかは、この指揮系統に素直に従えるかどうかでしょうね。

サラリーマンに向いている人は、簡単に言うと上司の指示に素直に従える人です。もう少し言えば、その指示内容が会社の利益や売上に貢献するのかどうか、品質や顧客の信頼を高めるのかどうか、そういうことを考えるのを飛び越して上司や経営層の指示を忠実に遂行する方が重要だと思える人です。さらに上司や経営層の指示を忠実に遂行すると言うことは、儒教などから影響を受けた年齢や身分の上下関係を厳格に守ると言った倫理観と相まって、人として正しい姿なんだと思っているような人。学校での体育系の部活に見られる、厳しい上下関係が倫理的に正しく、素晴らしいことだとずっと思い続けているような人ですね。

集団行動が苦にならないかどうか、朝早く起きれるかどうかはあまり関係ないと思いますね。サラリーマンが全員一斉に何かするなんてあまりないですよ。朝の体操とか、昼食とか、その程度は我慢するにはさほど苦にならないことです。命令する、される、この関係を受入れられるかどうか、受け入れるだけじゃなく、会社の利益や、自分の給料や、健康より重要だと考えられるかどうかがサラリーマンとしての適性を決めます。

そういうのは、大人になってから「サラリーマンなんだから上司の指示はしっかり守るぞ」と決意しても多分無理なんですね。子供の頃からの思考の癖がそうなっていないと。親、兄弟、先生、先輩、友人。それらの関係の中で、倫理観とともに上下関係の重要性を刷り込まれていないと、大人になってから重要なポイントで命令に従えなくなるんですね。いや、従うんですけど、かなりの苦痛を伴うことになる。だから子供からの洗脳が非常に重要なんです。そういう教育を素直に受け入れてきた人、いわゆる優等生と言う意味じゃなくそれが正しいことだと受入れてきた人。アウトローに生きてきた人でも上下関係の厳しさの中で生きてきた人はサラリーマンに向いていると思いますね。

サラリーマンに向いていない人は、成果に注目する人です。勉強でもスポーツでも芸術でも、誰彼の指示はあまり重要視していなくて、アウトプットがどうなるのかに関心がある人。大人の指示も、ルールも、過去の成功例も、最適解を生み出すための材料の一つに過ぎないと考えている人。大人に反発してたかどうかって意味でもないですね。ルールには素直に従ってても下らないなって思ってることは多いですから。

サラリーマンとしての適性があるかどうかで重要なことは、こういった組織の指揮系統の重要性を倫理観とともに考えているかと言うことです。組織の在り方をそういう精神性や生き方と繋げて考えている人からすると、そうでない人の生き方はもの凄く堕落しているように感じると思います。逆から見るとそういう人たちはひどく滑稽で、馬鹿々々しく見える。もう相容れませんね。

サラリーマンに向いてないなと思っていても、サラリーマンは続けられます。大人ですからね、みんな。でもサラリーマンに向いていない人が、サラリーマンとして働き続けると死んだ魚のような目をしながら生きることになります。

日本の就業人口の8割以上はサラリーマン、公務員等の雇われている人です。ちょっと多すぎる気がしますね。そんなにサラリーマン適性のある人が多いように思えません。サラリーマン適性がない人でも、容易に働けるような社会になって欲しいですね。