無職になって1週間が経ちました。
1週間、会社に行ってません。仕事も何もせず、起きて、飯を作って、わずかな用事をして、ブログ書いて、寝る生活です。1週間の休みと言うのは今までも正月やお盆にあったので、やってることはその時と大して変わらないですけど、これが来週も続きます。無職になったことでしなければならない手続きは、まだ終わってないので来週も何かしら「仕事」はありますけど、量としてはわずかですね。
ストレスと言うものはありません。上司も部下もいないし、電話もメールもありません。人と喋ったのは役所や銀行で手続きしたとき位ですね。朝起きて憂鬱になることもないです。それは今までの休日と同じようなものですが、仕事の前日の夜と言うものがなくなったので、その憂鬱でない平穏な状態がずっと続いていますね。
◇
今の状態をどう捉えるか。精神的には楽です。人と関わらないと言うのは、人と会話をする楽しさと言うものはないですけど、精神的な負荷もありません。でもコミュニケーションの楽しみを求めて会社に行っていたわけじゃないので、精神的負荷がない方がいいですけど。
お金がなくなる不安と言うのはまだ実感していません。おそらく今年は退職金や失業保険があるので、お金の不安を実感することはないんじゃないかと思います。だからこそ、今年中に不安を生じさせないような下地を作っていきたいですね。
一番の問題は、何もしていないと言うことへの罪悪感のようなものですね。お金の不安より、人生の無意味さを感じることによる虚無感の方が先に来る気がします。まだ無職になって1週間なので、無職モラトリアムのような感覚で自分に言い訳ができるんですが、数か月、数年、この状態で耐えられるとは思えないですね。
何かしらの「やる事」を作っていきたいですね。今までは「やる事」を会社が作ってくれました。会社が決める「やる事」は、それが正しいのかどうか、利益につながるのかどうかなど考えるまでもなく、やらなければならない事です。それが嫌で会社を辞めたんだから、「やる事」は自分で決めないといけないですね。自分で決められるからこそ、今ちょっとしたワクワク感もあるんですが。
◇
最近自炊ばかりしててお米がなくなってきたので、久しぶりにお米を買ったら、袋に「働かざる者食うべからず」と書いてありました。私はこのお米は食べてはいけないそうです。お金出して買ったのに。
この言葉は聖書の文言に由来し、ソ連のスターリン憲法に書いてある言葉だそうです。働かざる者とは、労働者でない資本家。食うべからずとは、つまり死ねってことですね。死ぬわけにいかないので、労働者になるしかありません。労働者とは現代の奴隷。つまりこの言葉は人を奴隷化する洗脳スローガンだったんですね。でも私はもう洗脳が解けてしまって労働者になる気もないので、働かないまま、このお米を食べようと思います。