日大アメフト部の悪質タックルと、東芝の「チャレンジ」は似ていると言う記事です。
日大アメフト部の悪質タックルは、東芝の「チャレンジ」と同じ構造だ(文春オンライン)
似ていると思います。
日大監督も東芝経営陣も直接的な指示はしてないと思いますね。
日大監督が「ケガをさせる指示はしていない」と言っているのは、本当じゃないかと思います。
ただ、暗示的に習慣的にケガをさせることを求められていたのでしょう。
上位者の意向を忖度して組織目標を達成する。
忖度そのものは、それ自体悪徳な行いとは思いませんが、忖度の動機付けとして恐怖心を使っているところが悪質です。
日大監督は、ミスを犯した1年生に対して4年生が暴力制裁を課すよう仕向けてます。
監督は選手の目の前で、コーチに対しても暴力をふるっていたそうです。
間接的な暴力や、見せしめの暴力は恐怖政治の手法です。
恐怖は直接的でない方が、恐怖心が増していきますから。
悪質タックルをした選手が自ら「潰しに行くので試合に出してください」と言ったところと、東芝経営陣に対して、赤字決算であったのを3日で黒字化するような粉飾決算を提出したところも似ています。
上位者は自分で直接的に指示しないです。
下の者に自分で考えさせて、自分から進言させて、上位者の意向に沿う内容だけを採用する。
意向に沿わなければ、その組織なりのペナルティを課す。
下位者は、はっきりを条件を明示されていないので、線引きが分からずより極端な方法をとります。
だからルールから逸脱することも多くなる。
逸脱した場合のペナルティは下位者が受け、ルール逸脱ギリギリで成功した場合は組織やその長の成果となる。
極めて悪質です。
そして、この種の問題の解決が難しいところは、上位者の第一義的な目的は組織目標の達成であって、あからさまに不道徳とは言えず、糾弾しずらいところです。
私腹を肥やしたりしているわけではないから、批判しずらい。
ただやっていることは、組織目標を達成すると同時に、恐怖によって支配を盤石なものにして自らの地位も安定させています。
組織と自分が安泰なので、彼らにとっては何も問題ではありません。
問題の意識はおろか、これこそが本来の正しい仕事のやり方だと思っている。
だから、自浄することも組織内から変革することも難しいです。
恐怖政治に長けた人間が組織を上り詰めるのが、今の日本の社会です。
それは日本の社会の未熟さを表しているようにも思います。
スポーツ界にはびこる体罰やハラスメントを容認するような体育会系の「ノリ」は、日本の恥部と思いますね。
今回の件で、いろいろなところにメスが入ると思いますが、監督への個人的制裁で終わらずに、スポーツ界の体質の改善に取り組んで欲しいと思います。
こういう日大監督のようなパワハラモンスターは、まだいろんなところに居て、今は息をひそめていると思いますから。