災害時は、仕事をしないことにできないのだろうか

大阪で地震がありましたが、私は阪神淡路大震災のとき関西で働いていました。

災害のときは、まずケガをしていないかとか、食料が足りるかとかの直接的なことが問題になります。

その確認が終わると、次に問題になるのが仕事をどうするかですね。

材料がない、人がいない、納期に間に合わない。

直接やり取りがある会社は事情を理解してくれたりもしますが、直接ではないその先のお客さんがいると、そうも言えなくなってくる。

無理にでも仕事を進めるために、電車が動いてなくても歩いて出勤したり、長時間残業したり。無理に会社に来ると帰宅困難者になったり、果ては会社に泊まったり。

会社を何とか正常に動かそうと、みんながんばります。

こういうとき、納期を待てないのかなと思います。

1週間でも待ってもらうとかなり楽になります。出勤しなくて良ければ、帰宅困難にもならない。納期が遅れれば、工事も何もかも遅れます。オリンピックの工事も、高速道路開通も遅れるかもしれない。それでもいいことにならないかな。「がんばったけど、できませんでした。テヘ」って感じで行けないでしょうか。何が起きても計画通りやれ、それが災害でも容赦しない、そんな感じですよね日本の会社は。

災害の場所から遠いところにいる人間ができることは、水や食料を送ることじゃないと思います。そういう直接的な支援は、日本みたいな国では行政も国もちゃんと対応してくれます。それより仕事上の約束を緩めることだと思いますね。

日本では、命より仕事が大事です。コストを削ぎ落し、人を酷使して余裕のない仕事の仕組みを作って、会社が災害や経済環境の変化に耐えられない弱い体質になっている。その貧弱な会社の健全性を守るために、非常時は人間が過剰な労働をする。逆だと思うんですね。か弱い人間の日常生活を守るために、会社やインフラが存在する。災害で、日常生活が困難になったら、仕事をやめて、事業の完成を遅らせて、正常な日常生活を維持した方がいいのではないでしょうか。電車が止まったら、仕事に行かない。歩いて出勤などしない。道路が陥没してたら、引き返す。遅れた仕事はリカバリーしない。遅れたままで計画を作り直す。「できませんでした、テヘ」それが許される社会にならないでしょうか。非常時は、みんな家でじっとしてましょう。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする