早期退職をすることは逃げなのか

早期退職のうしろめたさ

早期退職をすることは逃げなのでしょうか。逃げではないと反論する前に、そもそも早期退職をしようとしている人自身が、逃げではないのかと言ううしろめたさを持っていないでしょうか。この感情は何なのでしょうか。

今の嫌な仕事、合わない仕事、毎朝吐き気を抑えながら出勤する仕事。そりの合わない上司、クレームばかりの客、上っ面だけ合わせて最後は裏切る同僚。そんなものから逃げたい、逃れたい。早期退職をする人は、ネガティブな理由を持っていることが多いです。そして、早期退職ができる段階になった場合も、付き合いを断って貯めた貯金、禁止されている副業で得た収入、世間的に理解されていないネットでの収益など、資金形成の方法もネガティブな印象のものが多いですね。

早期退職にまつわる話はネガティブだらけです。だからこそ日本では一般に理解される市民権を得た生き方ではなかったのでしょうね。

「挑めばチャンス、逃げればピンチ」

「挑めばチャンス逃げればピンチ」 (PHP文庫)。アサヒビールを再生した樋口広太郎氏の言葉です。これはこの通りだと思いますね。困難な事態に逃げずに挑んで成功すれば、自身も事業も成功する。逆に及び腰の姿勢で取り組むと、仕事に飲み込まれ最終的に失敗する。仕事は逃げてはいけないものです。逃げると悪夢のような恐怖となって襲ってくる。チャレンジしていけば成功する可能性が高まるものと思います。

しかし、こうも思うのです。

仕事はチャレンジし続けなければ、いつか魔物となって襲ってくる。特に会社組織で生きるサラリーマンは仕事も人間関係も選べない中で挑戦し続けなければならない。わずかの休憩も許されない。休んだ途端、ピンチとなって精神的に追い詰められる。これは逆の言い方をすれば、会社生活の何十年の中ではチャレンジできない時が必ず訪れて、その時、精神的に追い詰められることになる。その確率はほぼ100%。仕事を選べないサラリーマンは、将来必ずピンチが訪れ、最悪の場合は死をももたらす、そういう職業なのではないかと。

挑み続けること。打たれても打たれても立ち上がり前へ進むこと。これは何かと言えばつまり、前線の兵士です。兵士は隊列を崩さず、前へ前へと進まなければなりません。自分の意思で休憩したり、配置転換することは許されません。サラリーマンとは現代の兵士なのでしょう。

早期退職とは敵前逃亡なのか

早期退職とは、兵士で言えば敵前逃亡にあたるでしょう。それも、資産形成しての早期退職は食料を持って、地下トンネルを作って、安全を確保してからの敵前逃亡だからより罪が重いと言えるでしょう。早期退職にまつわるうしろめたさはこの感覚に似ていないでしょうか。そしてそれは一兵士として、一労働者として社会に貢献するよう教育されてきた労働者教育の思想に反するからなのではないでしょうか。

会社を辞めるとは、目の前の嫌な仕事から逃げることかもしれません。それにより自身の成長や事業の成功を逃すかもしれません。でも、逃げることや、成長すること、金儲けすることや、倹約すること、これらは全くもって我々の自由意志によるものであって、批判されるようなものではないと思うのです。逃げること、挑むこと、これらが自由意志で選択できるときにはじめて挑戦が成功につながると思います。逃げるときは、そこでは成長しない、金も要らない、命を大切に行くと決めたと言うことでしかなく、批判などと言うものは当たらない。

呪縛から離脱しよう

早期退職をすることは逃げなのか。

逃げることに違いないのかもしれない。しかし、嫌なことから逃げるとは至極全うなことであって、それにうしろめたさを感じるのは労働者教育の洗脳が解けていないからだろう。もう給料はいらないから、働かない、それだけのことであって、そこに労働者の倫理観を持ち込んでしまうのはあまりに不幸過ぎる。労働者教育の呪縛から早く離脱しよう。