よくありますね、こう言う論調。
「そんなの甘えだ」
「甘えずに働け」
「甘ったれたことを言うな」
って。
まず「甘え」とは何なのでしょうか。
そこから考えましょう。
甘えとは服従させること
甘えとはなんでしょうか。
おもちゃ売り場で子供が母親に「あのおもちゃ買ってー」とねだっている姿。
恋人に「膝枕して」とか、「手料理が食べたい」とかねだる姿。
こういうのが甘えですね。
つまり甘えとは他人にその好意をもって、自分の希望を成就させること。
もっと端的に言うと、他人を支配し服従させることが甘えです。
子供がおもちゃを買ってとねだるとき、子供は親を服従させ、自分の命令に従わせます。
「子供を甘やかす親」とは子供に隷属し、支配されている親のこと。
その支配の関係は、依存的で、時に性愛を含み、甘美なものでもあるため甘えを全て否定するものでもないです。
「甘え」って言われると、最上級の否定の言葉で人格否定まで含む感じですが、閉じた二人の関係では情緒面の安定をもたらす一種のルールでもあるでしょう。
誰に甘えているのか
では、早期退職は甘えなのでしょうか。
誰に甘えてるのでしょうか。
親?社会?世の中?
あまり甘えの対象が思いつきませんね。
一般に早期退職する人は資産形成してたり、副業してたり、節約生活してたりしますからね。
早期退職して、親や奥さんの収入で暮らす人もいるでしょう。
この人たちは甘えてるかもしれません。
奥さんに甘えてるんです。
奥さんですよ。
別に存分に甘えたらいいと思いますけど。
会社やめて失業保険もらったり、収入がないので税金払わなかったりするかも知れません。
だから、社会に甘えてると言われるかも知れませんね。
でも、それはそう言うルールだから仕方ないですよね。
税金を少なくしたり、補助金をもらったりするのは、事業者は当たり前のようにするからね。
労働の美徳
「いや、そうじゃない。そういうことを言ってるんじゃない。そんな細かい言葉の定義を聞いてるんじゃない。つまりお前は逃げ出したいんだろ?さぼりたいんだろ?楽したいんだろ?卑怯者じゃないか。敵前逃亡だろ。恥ずかしくないのか」
と言う声が聞こえてきそうなので。
この批判をする人は、働くとは、生きるとは、つらく苦しい想いを続けていくことで、それを途中で投げ出してはいけない、と思っているのでしょう。
そのつらく苦しい思いは、大概において、自分で決めたものでなく、誰かが決めたもので、その始まりも終わりも何をするかも分からない、闇に向かって全力で走っていくようなものだから、とても恐ろしい。
主体性のない仕事は、苦しく恐ろしい。
そんな自分で決められないことをやり続けるためには、その労働を神様が決めたものであるかのように、倫理観のヴェールで覆って自分を納得させるしかない。
「労働の美徳」なるものは、つまりは奴隷の洗脳手段に過ぎないのに宗教のように昇華させて、離脱者を許さない感情になる。
他の人が、楽して生きようが、質素な生活で過ごそうが何も関係ないのに。
◆
早期退職は甘えではありません。
批判者の意向を忖度して、言葉の誤謬に目を瞑り、逃げ、堕落などと置き換えても、そんな宗教、私は信じてないので、いや、最近脱会したので、もう関わらないでくださいと言ってあげましょう。