何か楽しい事が続くと
「そのうち悪いことが起きるんだ」と
自分を戒めるかのように、楽しいとは思わないようにしてきた。
楽しいことが続くと、逆に不安になる。
その楽しい時間が長い程、帳尻を合わせるかのように
嫌なことが起きるんだろうと怖くなる。
◆
子供の頃は常に怒られていた。
何もかもが怖かった。
怒られる理由は何かあったんだろう。
合理的な何かが。
その理由を私は理解していたかもしれない。
ただ、その合理的な理由と憤怒に激高する姿とが
どうも結びつかず、
私にとっては暗闇の中で突然襲い掛かってきくる
モンスターのように怖いものだった。
モンスターはどこにでもいた。
家にも学校にも。
逃げ場所はなかった。
ただそこに居て、襲われないように祈るしかなかった。
恐怖心と祈りの儀式が生活の大半を占めていた。
◆
恐怖は生活とともにあった。
恐怖がなければ逆に不安になる。
無意識に恐怖を求めているんじゃないかとすら感じる。
恐怖に対する無意識の怯えは
まるでそれを埋め合わせするかのようなモンスターを引き寄せる。
楽しい時間は長くは続かない。
長く続いてはいけない。
幸せになってはいけない。
それはまるで消せない不文律のように、
望んでるわけでもないのに、
私の戒律となって、私を戒める。
◆
自分の意思で、自分のふるまいを自由に決めていいと知ったのは
おそらく最近のことだ。
もう嫌なことはしない。
我慢はしない。
自分のやりたいことをやって、やりたくないことをやらずに
生きてみようと思う。
幸せの意味が分かるかもしれない。