エヴァンゲリオンでシンジが口癖のように言ってる言葉です。
結果的にシンジは使徒と闘うまでに成長します。
物事から逃げずに、立ち向かえ。
困難なことから逃げるな。
逃げるのは卑怯者のすること。
負けてもいいから逃げるな。
こういった言葉や考え方は、我々に染みついていて、
議論する余地のない共通の文化的基盤のようなものになっていると思います。
逃げずに立ち向かうと、どうなるか。
勝つか、負けるか。
勝った場合は、問題ないですが、
負けた場合、どの程度の負傷なのかが問題です。
かすり傷なら、いいですが、
致命傷なら大問題、最悪死ぬかも知れませんね。
でも死んでも問題ない場合があります。
多数の兵隊の中の兵士の場合、
わずかな兵士が死んでも、全体の作戦には影響ありません。
前線の兵士にとって最も重要なことは「逃げない事」。
個人の力の優劣などあまり重要ではありません。
計画された任務をそこそこ果たすこと。
逃げてはいけないとの言葉は、つまり立派な兵士になれと同じ意味です。
我々は兵士になる教育を受けてきました。
学校や、テレビ、本その他いろいろで、
立派な兵士になれと教えられてきました。
兵士とは指示された任務を忠実に果たす人のこと。
今で言えば労働者、サラリーマンでしょう。
サラリーマンは目前の仕事から逃れられません。
いや、逃れられないと暗示をかけられています。
現実的でない目標、
上司や顧客の無理難題、
どうみても無理なスケジュール。
そこでサラリーマンに求められるのは経済的合理性のある判断ではありません。
逃げずにチャレンジし、失敗して、頭を下げて、精神を病む。
ここまでがワンセットの踏み絵のような罰ゲーム。
我々は兵士になるために生まれてきたわけではない。
我々は、我々の、自分自身の指揮官です。
指揮官は全ての敵と戦うわけにはいきません。
最終的に勝利するためには、戦いを避けることも必要です。
そうしないと、致命的な敗北をして国を滅ぼすかもしれないから。
勝ち続けることはできないから。
勝てない相手からは全力で逃げよう。
そこに卑怯も糞もない。
それは奴隷同士が互いに監視し合い、抜け駆けを許さない構図に過ぎない。
全力でぶつかって、散る様は勇ましく恰好いいです。
武士道などをうまく利用して指示される側の美学を作り上げた
日本の奴隷教育は成功していますね。
そんなところからは早く抜け出そう。
早くしないと殺される。