なぜ会社の計画は勇ましく、無謀なのでしょうか。
どうもね、上層部の方針と言うのは突き詰めると根性論なんですよね。失敗の可能性は全く考慮しません。全ては計画通りに進んで、必ず成功することになってます。仮に失敗の可能性を考慮するなら、失敗した場合の対策も同時に用意しないといけません。考慮した失敗の数だけ、対策が必要になります。全てを考慮することなんてできないから、失敗は初めからないことになっています。
目標の数値は気合と根性で決められます。ほとんどできそうにない数値を花火でも打ち上げるかのように、声高らかに掲げて、決意と意気込みを見せなければなりません。仮に確実に達成できるような、合理的な目標を上げると、やる気がないかのように捉えられてしまいます。
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茶番ですよね。茶番なら茶番でいいんです。それを皆が理解して、根性出しのイベントとして盛り上がるならね。
ただ、どこまで茶番かどこまで本気なのか、分からないんですよね。分からないと言うより、何かの拍子に、誰か声の大きな人によって、デッドラインが決まってしまいます。もう計画も何もありません。投資計画の評価も、損益の分析も、経理的評価などすっ飛んでるんですね。
実際には失敗も起きます。無理な目標は達成できず、合理的な数値に収束します。この計画と結果とのズレはどこかで歪となって現れます。失敗が起きないことになっている計画で大失敗が起きると、取り返しのつかない状態になったり、または非現実的な計画をそのまま実行すると、労働者や中間管理職の酷使に繋がったりします。
この無理目の計画を勇ましくぶち上げると言うのは、旧日本軍から変わらない日本人の悪癖ですね。敗戦、原発事故、東芝。21世紀になっても、「失敗の本質」は現代日本に受け継がれています。失敗の本質とは、マネジメント能力の低さのことです。これまでは、労働者の勤勉さと職人気質が管理層のマネジメント能力の低さを補ってきましたが、海外勢との競争が激しくなった今、経営の失敗を許容できるバッファが少なくなってきています。もう余裕がない状態です。
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自分の人生の大半を会社に預けるようなライフスタイルは、非常に危険です。マネジメント能力の低さは大企業、中小企業に関わらない問題です。現代は生産性、効率性を追求するあまり、マネジメントのわずかな失敗が、会社の損失や、個人の金銭的、精神的損害に繋がって行きます。経営層が成長するのを待つなんて、ちょっと気が長すぎます。泥船からは早く飛び降りた方が安全ですね。