課長がもっと輝けば、日本経済はもっと良くなる(ITmedia ビジネスオンライン)
多くの新入社員が管理職になることに消極的な姿勢をみせている。
公益財団法人日本生産性本部が昨年秋に実施した新入社員を対象にした調査1(有効回答数:264)によれば、新入社員のうち「管理職になりたくない」と回答した割合は47.3%とほぼ半分に達している。
昔の課長ってそれなりに偉い感じがしましたよね。ずっと机に座ってて、現場見るのは1日1回くらいで、係長職も下に何人かいて、ちょっと近寄りがたい感じがありました。でも今の課長ってかわいそうなくらい働いています。プレーイングマネージャーて聞こえはいいですけど、単に業務量2倍ですからね。部下と同じ仕事しながら管理業務も行っている。残業規制など、組合員の権利は増大する一方、管理職の下っ端の課長職の業務は青天井で増えて行ってます。人権も何もないですよね。課長職なんて経営に携わってるわけでもないのに、管理監督者として会社側の人間扱いされて、残業もつかないです。違法ですよ、これ。だれか訴えたらいいのに。
その身近な管理職を見て、管理職になりたくないと思う新入社員の感覚は自然だと思いますね。と言うより本質を付いていると言うか。
管理職と呼ぶのは課長、部長くらいまでですね。事業部長あたりから取締役兼務の人もいるので。取締役以上は、おそらく経営者と呼ぶでしょう。つまり管理職とは中間管理職のことで、管理する面と管理される面、両方持っているんですね。管理されている以上、中間管理職などただの労働者に過ぎないのです。自己の裁量の及ぶ範囲などたかが知れています。それより、さらに上位者からの管理と、組合員でないが故の全人格労働の提供が求められることで、労働環境はかなり劣悪です。
では課長以上はどうかと言うと、部長以上でも中間管理職には変わりがないです。たとえ社長でも、系列会社の下位にいると、親会社から管理される存在です。親会社の企画部とかから指示されるんですよね。つまりサラリーマンである以上、ほとんどすべての人が、どんなに優秀であっても、中間管理職のまま会社人生を終えるんですね。自律性や裁量労働などからは程遠く、仕事の重要な部分を他人に指示される。この永遠の自律性のなさは、サラリーマンの悲哀の根幹ですね。
管理職になりたくないとは、「中間管理職になりたくない」、つまり「管理されながら、責任だけ取らされたくない」と言うごく当たり前の意見に思えます。今の時代は、会社や巨大組織が重厚そうに覆っていたヴェールが、次第に取り払われ、その貧弱な建付けがあらわになって行っています。昔栄華を極めた巨大企業が次々に斜陽化して行く。その根本にはこれまでの日本の組織や人間関係の歪さが内在してます。中間管理職の非合理さもその一環でしょう。
人が息を殺しながら生きる社会。経済成長の中で、それは利益によって相殺されてきました。でも今の社会ではその忍耐に見合うだけの報酬は得られなくなってきています。組織が変わるか、組織から離れるか。自己防衛をするなら、組織から離れることでしょう。ただ組織の変革のヒントもここにある気がします。