退職願を提出しました

退職願を提出しました。会社から渡された用紙は退職「届」ではなく退職「願」でしたね。退職理由も「早期退職」とあらかじめ書いてありました。特に頭を悩ますこともなく、名前と住所を書いて終わりです。提出先は上司ではなく、総務課宛てです。よくある、「退職願」と表書きした定型封筒に三つ折りにした退職願を入れて、上司の机に叩きつけるとか、あんなのはありませんでしたよ、もちろん。人目に触れるとまずいので、封筒には入っていましたけど、それを総務課長の机の上に置いて終わりです。

早期退職宣言は11月にしているので、さほどの感慨はなかったですね。でも来期の予算申請の書類を書いた流れで、退職願の書類に記入すると言うのは、なかなかシュールな作業でした。この各案件の仕事誰がするんだろうと思いながら、まあ誰でもいいかと適当に納得しました。この終わりの見えた時期の無責任さ加減も貴重な経験ですね。

辞めて良かったのか。何度も自問自答してますが、何度でもやってみようと思います。

私が早期退職して会社を辞めるのは、サラリーマンを辞めると言うことです。この先転職して別の会社で働くことは絶対にないです。仕事はするかもしれませんが、上司と呼ぶような人間の下で働くことはもうありません。サラリーマンに対する絶望的な感情が早期退職に至った根っこの理由ですね。

サラリーマンのような組織で働くのは特殊な職業のように思います。消防隊員のような仕事も特殊な職業に思えます。燃え盛る火の中に入っていくと言うのは、人間の本能に反するような行為で何かしら特別な理由がないとできないと思いますね。おそらく消防隊員は人命を救出すると言う使命感のような、大きな目的のようなものがあって、ケガをもいとわず火災と立ち向かうのでしょう。そこは給料の額といったお金では換算できないモチベーションがあるのだと思いますね。

サラリーマンも同じではないでしょうか。サラリーマンとして組織の中で上司の指示に従うことは、ある意味人間の本能に反しています。本当はやりたくないことを上司の指示だからやらなければいけない。自分の利益にならないこと、会社の利益にならないこと、社会の利益にならないこと、自分の主義主張に相反することを仕事として強いられます。集団のために個が我慢をする。それは組織としては重要なことで、会社以外でもよく行われていますが、今の会社の特徴的で悪質なところは、個が我慢する状態をあまりにも当然のこととして制度に組み入れていることですね。

人が誰かの命令に従うと言うのは、人として特殊な状態です。だからこそ、人間は目上への尊敬の姿勢、軍隊のような統制、ルール順守の精神などで人に従う人を育てるシステムを作ってきました。でもやはりそれは人として特殊な状態なので、何かしら大儀名分が必要なんですね。人命救出のような高邁な理想でなく、会社の利益のようなものでも構いません。こうすれば会社が儲かる。その結果安定雇用と安定報酬に繋がると従業員が考えられればその特殊な状態を受入れるでしょう。

ただ正社員で新卒で入社した人間であっても、無条件ですべての指示を未来永劫黙々と受入れ続けるわけじゃないんですね。それこそ、社畜であり、奴隷です。その奴隷状態を当たり前だと会社は考えています。会社と言うより経営者と労働者、両方ともと言った方がいいかもしれません。そういう奴隷状態から抜け出したいと言うのが、サラリーマンを辞める理由です。人として特殊な状態を受入れるほどの大義名分が今の会社にはない。個を犠牲にしてまでやり遂げたい仕事などない。それもこの先何十年もね。どう考えても不釣り合いです。

会社を辞めることに迷いはないですね。長年働いて、会社組織の異常さをやっと文章化して考えられるようになりました。会社がモノを作って売ると言う、その本来的な機能のところでは何も問題はないと思います。我が社もそういう意味で立派に社会貢献をしていると思います。でも組織運営には多くの問題があります。松下幸之助が言った「企業は人なり」と言う言葉に異を唱える経営者はいないでしょうが、現実の社員は奴隷状態で働いています。この歪はいずれ、大きなひび割れとなって組織を瓦解させるでしょう。東芝のように。そうなる前に私は脱出しようと思います。