もしもネコがサラリーマンになったら

物事は多面的に考えなければなりません。

サラリーマンと言う仕事が生物にどういう影響を与えるのか、問題があるのかないのか。動物の代表として、もしもネコがサラリーマンになったらどうなるのかを考えてみましょう

ネコの仕事はおそらくネズミを捕ることでしょう。サラリーマンとなったネコは日々ネズミを捕ります。もちろん、腹が減ったからとか、ちょっとした好奇心とかでネズミを捕るわけではありません。ネコにはネズミ捕りの目標が定められます。月に30匹とか、そんな目標です。毎日捕ったネズミを会社に持ち帰って、渡します。目標に達成しそうにないと、上司のネズミから叱責されます。ネコですから、言葉の叱責ではなく毛を逆立てて、うなり声を上げて威嚇されます。部下のネコはそれに歯向かうでもなく、逃げるでもなく、その威嚇をただ怯えながら、怯えたそぶりを見せず、黙って耐えています。

次の日もネコはネズミを捕りに行きます。ネズミを食べたいからでも何でもありません。会社に対する恐怖心と、自ら立てた目標に対する責任感、それらがネコを追い立てます。

月に捕るネズミの数を目標として掲げたことで、このネコのねずみを取る技術は向上しました。昔は月に10匹しか取れなかったのに、会社のマニュアルを読み、先輩のやり方を覚えて、ネズミ捕りの技術は向上しました。その時の目標、20匹のネズミを初めて捕ったとき、達成感とやりがいを感じました。でも目標はすぐに30匹になり、また焦燥感でネズミを捕る日々が始まったのです。

本当はネズミ捕りは楽しかったはずなのに、今は恐怖に駆られてネズミを捕っています。本当は月に30匹も捕らなくても生きていけるのに、必要以上のネズミを捕っています。本当はこのネコは魚を捕るのが得意なのに、会社の方針でネズミを捕っています。ネコがサラリーマンになると、自分の感情、能力を全て押し殺してネズミを捕る、死んだように生きているネコが出来上がります。

私たちはこの怯えながらネズミを捕るネコと同じです。怒ったり、逃げ出したりする動物はたまに見ますが、怯えている動物はあまり見ませんよね。それくらい動物にとって、怯えと言うのは異常な状態です。朝起きて、今日も嫌な日が始まると思い、憂鬱な気持ちで電車に乗る。人間だから、ネコのような威嚇はされないけれど、金、世間体と言った人間らしい恐怖心を与えられて怯えながら仕事をしています。

怯えている動物をあまり見ないのは、怯えは死に直結するからかもしれません。でも人間は、多くの人が何かに怯えて暮らしています。そして会社とは恐怖をシステムの中に組み込んで、利益を得る組織です。異常ですよね。組織の成り立ちが異常です。

怯えている動物は、すぐに死にます。人間も同じです。肉体的な死の前に、精神的に殺されます。恐怖を前にしたとき、取るべき行動は二つです。戦うか、逃げるか。戦いもせず、逃げもせず、怯えて立ちすくむと言うことは、肉体は死なず、精神だけ死ぬと言う、生き地獄を味わうことになります。

戦うか、逃げるか。このネコにはこう言ってあげたいです。「早く早期退職した方がいいよ」と。