「お金に働いてもらう」と言う言葉の違和感

こういう言い方ってありますよね、「お金に働いてもらう」。

具体的には、株式投資や投資信託などの金融商品にお金を預けてその利益で収入を得ると言うことです。

自分では労働せずに、まるでお金が「働いてる」かのようにお金を稼ぎだす。金が金を生む、左うちわの夢のような状態です。

いわゆる「不労所得」を得ている状態。

もちろんこれは比喩的な表現であって、お金が満員電車に乗って、会社に行って働いているわけじゃありません。

それは分かってるんですが、この言葉には少し違和感を感じるんですね。

実際にはお金は働いてないです。働いてるのは株式を買った会社の労働者

投資信託でも同じです。TOPIXなら日本の上場会社、S&P500ならアメリカの上場会社。働いているのは、それらの会社の労働者です。

労働者が働いて得た利益の上澄みをかすめ取るのが、投資家の仕事です。

不労所得を得ると言うことは、労働者から資本家の立場に変わると言うこと。

ムチを打たれる側から、ムチを打つ側へ。

搾取される側から、搾取する側へ変わると言うことです

労働者は一般に経営者が課す過酷な労働に不満を持ちますが、経営者と言うのはお金を出してる資本家との約束を忠実に実行しようとしているだけです。

そのやり方に問題があるとしても、その根本の指示を出してるのは資本家です。

労働者の敵は、本来資本家です。

不労所得を得ると言うことは、その立場を180度変えると言うこと

鬼や悪魔だと罵ってたその資本家の立場に自分がなって、労働者をこき使おうとすることです。

ヤクザから警察に転職するようなもの。

ペットだった犬が飼い主に、飼い主だった人間が犬に飼われるようなものです。

違和感を感じるのは、そんな大転回の意味を「お金に働いてもらう」と言う言葉から感じられないからです。

この言葉には何か自分の知らないところで、お金が打ち出の小づちから出てきて増えるかのような安直さがあります。

「お金に働いてもらう」と言うより、「お金で人を働かす」と言った方が正しい。

資本主義社会を形作っている、人を意のまま動かすお金の力、その血も涙もない冷徹な債権者の権利。その残虐性を手にしてると言う覚悟がこの言葉から感じられない

債権者には強力な権利がある半面、損失を負うリスクもありますからね。

目先の金利に目を奪われて、リスクの大きさを考えずに投資すると言ったミセスワタナベのような行動は、その覚悟のなさからきてるんじゃないでしょうか。

お金を擬人化して、分かりやすく比喩で例えるのは何の問題もないですけどね。言葉がひとり歩きして、ミスリードを起こさないか心配です。

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コメント

  1. 皆、自分がひどい人間だとは思いたくないのでしょうね、
    俺は資本家として労働者をこきつかっているぞ、と言ったら非難されるかもしれない。

    僕はブログのサブタイトルで、労働者から資本家になった、と書いているので、冷徹な人間として搾取する側にまわったぞ、という覚悟があるつもりですw

    • ナオユキ より:

      招き猫の右手さん、コメントありがとうございます。

      ひどい人間だとは思いたくないですよね。
      でも、遠まわしにひどいことしてるんですけどね。